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大分への旅で大分マリーンパレス水族館「うみたまご」に足を運びました。家族連れを中心にたくさんの人が訪れている中で、いろんな海の生き物たちに出合いました。

「うみたまご」のホームページを開いてみると、「人間はもともと海から生まれたと言われています」と書かれています。
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」。ご存知の方も多いと思いますが、三好達治の詩の一節。フランス語で「母」はmereで「海」はmerです。

ところで宮崎の人工の海「オーシャンドーム」の閉鎖まで1カ月あまりとなりました。ドームは施設の維持、運営には巨額の経費を生み出しました。一方で宮崎の名も広めました。「うみたまご」の魚たちの姿に出合うごとに、「ドームは今後どうなるのかな。無くなってしまうのかな」と気になり始めました。本紙「窓欄」に寄せられた「日本一の水族館に」という投書も頭に浮かんできました。

詩のタイトルではありませんが、母なる海は「郷愁」を誘うようです。


  1. 野崎俊則 さんのコメント:

    オークションドーム閉鎖寂しいですね 死人に鞭を打つつもりはありませんが当時松林伐採又リゾート法指定に関し松形知事は大変な自信でした 誰か責任をとられた方はいらっしゃるのでしょうか それとも宮崎独特のもういいじゃないかでしょうか

  2. miyanichi さんのコメント:

    野崎俊則さん、いつもコメントありがうとございます。オーシャンドームは今にぎわっていると聞きます。皮肉なものですね。
    ご指摘どおり開発には松林が幾つも伐採されました。オープン当初は脚光を浴びましたが、成績は芳しくなくたくさんの税金が投入されました。まさに光と影の中を歩んできました。県民もいろんな思いが交錯しているでしょう。
    巨費を投じてこれだけの施設をつくったのですからどんな形であれ再生してほしい。個人的にはそう願うばかりです。

  3. てげてげ さんのコメント:

    オーシャンドームには、帰省のおり一度だけ子供を連れて行きました。
    やけに入場料が高いな、内容にそぐわぬ食事代・・親の気持ちとは別に子供は楽しんでいたようです。印象としては、「施設に満足して、待ってるだけだと長続きしないな。」だったような・・・。
    建設に際し反対運動が起こった時、あおき小学校卒業の私は「お別れ遠足」を思い出していました。年度末恒例の一つ葉遠足です。当時、今村(今も今村と呼びますか?)あたりまで果てしなく見えていた気がする、一面のれんげ畑と菜の花畑。松林の中をせっせと歩きましたっけ。
    松林で起こる良くない出来事に、学校の朝礼で「一つ葉にゃ、子供だけでいったらいかんよ。」と注意があった事も懐かしい思い出です。
    同時に、亡父が語ってくれた「防風林の大切さと、塩害の話」を思い出していました。シーガイア建設は、当然の反対運動だったわけです。
    当時の宮崎県知事は、元林野庁長官を6期務めた故松形祐堯氏。氏は、地元住民の声には応えず、リゾート法第1号の申請、着工に踏み切ったのでしたね。なにかしら県民に還元されたのでしょうか。
    シーガイア一連の施設の中で、ホテルやゴルフ場経営の「足かせ」になっている、そんな言われ方での閉館はあまりに寂しいです。
    東国原知事は、「オーシャンドームを映画やTVなどのロケスタジオに使えないか」と言っているとか。部長さんの言われるように、「どんな形であれ再生してほしい。」と願うばかりです。
    こうして閉鎖した観光施設や、観光地の再整備が宮崎にとっての重要課題でしょう。高千穂鉄道の件も先延ばしとの事で心配です。
    話は、先日の道路整備にも当然関係する事で、高速道路、一般道路の整備と鉄道の高速化の早急な実現を望むところです。

  4. miyanichi さんのコメント:

    てげてげさん、こんにちは。檍(手書きツールでやっと出ました)小学校ですか!!そのころ、一ツ葉の松林に通称「軍用道路」はありましたか?
    私が子供のころに行っていた一ツ葉の砂浜にはルピナスが咲いていた記憶があります。松林はどこまでも続き、軍用道路からの木漏れ日はいまもいとおしく思いだします。
    ときどき考えます。リゾート法って何だったのでしょう。新聞社に身をおきながらひとごとのように言う自分にも自戒を込めているのですが。
    交通網整備に加え、観光地の見直し、再整備、これも喫緊の課題です。
    それにしても思いだすごとに昔の一ツ葉がとても懐かしくなってきました。
    答えになっていませんが今村公民館はあるとのことです。

  5. てげてげ さんのコメント:

    ありました「軍用道路」。道幅はとても狭く車一台でいっぱいいっぱいでした。今もあるでしょう?「軍用道路」とは呼ばないのかな。住吉辺りまで抜けていました。
    「白波続くぅ 一つ葉のはぁまぁ〜」♪、と平行して砂丘に黄色いルピナスが、ず〜〜〜っと続いていました。今、海岸ははどうなっているんでしょう。実家も転居しましたし、海岸まで足を運ぶ事もありません。
    イオンには、帰省の度に大好きな「平兵酢ドレッシング」を買い込みに行きますけどね。

  6. miyanichi さんのコメント:

    てげてげさん、おはようございます。軍用道路は今はほんの一部を残して無くなったと思います。確か途中からシーガイアへ行く舗装道路と化してしまったのではないでしょうか。今度近くを通ったら確認してみようと思います。軍用道路を抜けると住吉に出る。昔はそんな感じでしたね。海岸の砂浜浸食が進むとともに生息地を失ったのだろうルピナス(小さい頃はルーピンと呼んでいました)とともに懐かしい記憶です。

  7. たいふう一家 さんのコメント:

    皆様のコメントを読んでいたら投稿したくなりますね。「軍用道路」懐かしいです。一つ葉のお別れ遠足も市内の小中学校の恒例の行事だったようなきがします。それにしても「シーガイア」に足を運んだのは2回ほどでした。特にオーシャンドームには行ってないですねぇ・・・・・。一番初めに行った時に屋根が開いていて青い空と目前に広がる松林や海がなぜか妙にミスマッチで(人口の海とですね・・・)どうして此処にできたのだろうか?と不思議でした。しかも多額の税金が投入されていたとか?県民には到底似つかわしくない施設だと感じていましたが仕方のないことですね。私達の思い出の一つ葉はもうそこにはないのです・・・残念です。

  8. miyanichi さんのコメント:

    たいふう一家さん、こんにちは。「私達の思い出の一つ葉はもうそこにはない」。この言葉にノスタルジックな思いがこみ上げてきました。