きのうの日記のつまらない落ちのせいか、どうも寝つきが悪く、熟睡できないまま朝刊を開くと「作詞家阿久悠さんを送る会」の記事が目に留まりました。ヒット曲が流れる中、最後の別れを惜しんだと書いてあります。
阿久さんの両親は川南町出身。そういう縁もあって、作詞家生活40年を迎えた今年1月1日付本紙に大型インタビュー記事が載りました。その中で阿久さんはこう語っています。
「美しい国ではなくて、美しい日本人でありたい。『美しい日本人とは何だろう』と1億2千万人に考えてもらわないと困る。生き方の中に、見てくれではなくて、美しいということを自問自答したことがあるか。知性が最優先される国でありたい」
小説「星の王子さま」でも「大切なことは目に見えないものなんだ」と、教えてくれます。阿久さんも同じことを言っていると思いました。どんなレトリックを駆使した美辞麗句よりも、とつとつとした言葉に心奪われることがあります。それはきっとその言葉が生きて、輝いているからです。
阿久さんの語りは続きます。「宮崎には『善意が生きている』というイメージがある」と。私にとっては気恥ずかしい思いですが、後生大事にします、この言葉。
午後から降りだした雨はまだやみません。インタビューを読み返していると、この雨にぬれ自分自身を見つめ直したい気分になりました。「雨雨ふれふれもっとふれ」。今宵はもっと降ってほしい。
決してつまらないおちではありませんよ 阿久さんは本当に沢山の名曲を残してくれましたね 美しい日本人なかなか難しいのですが一歩づつ少しでも近づきたいと思います 日記肩の力を抜いてこれからも頑張って下さい
Wednesday, September 12, 2007 12:22:55
野崎俊則さん、こんにちは。とてもあたたかいコメントありがとうございます。
Wednesday, September 12, 2007 14:47:32
昨日の記事は、大変興味深く読みました。野崎さまと同じくつまらないおちではなかったですよ。
日本語の乱れは、真剣に考えていかないといけない問題と思います。
高校の時の恩師が、『日本語には、他国の言語にはないものがある。それは、響き、視角と聴覚により 会話が楽しいものになる。』と 言われてました。
家庭での会話により勉強していきますが、正しい表現は、テレビのニュースキャスターが 話す言葉や宮日様をはじめとする新聞により 表現などを学んで 正しい日本語を守って行きたいものです。
言葉は、時に剣よりも強くなりますので、言葉を選びながら会話したいと思います。
取り留めのない書き込みで支離滅裂でございますが、お許し下さい。
追伸 部長様の日記を読ませて頂いてますと 宮日新聞を読む時に 凄く身近な人が書いている感じがして楽しく読んでいます。
Wednesday, September 12, 2007 15:57:50
近頃の若いもんさん、コメントありがとうございます。新聞社も正しい日本語を使っていかなくてはなりません。肝に銘じます。
身近に感じてもらってすごくうれしいです。
Wednesday, September 12, 2007 17:13:37
宮崎には、善意が生きている、とは、よく言った、ものです、言葉とか、政治という、難しい事ではないですが、 職場の友人と、互いの家をいききするおり、盆など、気をつかわんで、いいですよとか、 土産を出したおり、何いょっとねとか、特に、女の人に良識がある気がする。 まあ、どこでもそうですが、いい意味での中流意識は常に感じます、長生きはするところです、かくいう私も、朝のニュースで、知事が、長生きの人を表彰してるのをみました。そして、物産館で、 かったそのまんま、宮崎茶を飲んで、心に余裕を持って、でかけます。
Wednesday, September 12, 2007 23:15:53
宮崎ファンさん、おはようございます。「宮崎茶を飲んで、心に余裕を持って」ですか。いいですね。そこに善意を感じます。宮崎PRのいいキャッチフレーズにもなりそうな気がしました。
Thursday, September 13, 2007 09:12:53