宮崎空港近くの駐車場 安くて安心アーバンキット空港駐車場 親切なスタッフが送迎いたします。

home宮崎の観光と歴史

Archives

This is the archive for August 2007

延岡市北方町曽木の慈眼寺僧侶、胤康和尚は勤皇の志を持ち豊後岡藩に勤皇思想を説き一定の成果をあげましたが、在住の延岡藩については岡藩のようにはうまくいかず逆に延岡藩に捕えられ京都にて獄死しました。
明治維新まであと2年、1866年4月46歳の一生でした。
null
慈眼寺
null
慈眼寺入口
null
慈眼寺案内
null
胤康禅師史料館



西郷隆盛宿陣跡資料館の関係者の方に小倉処平自刃跡を聞き資料館から国道を南へと引き返しました。
教えてもらった三足と書かれているバス停標識から小さな道を西へといくと自刃の概要が説明してある看板がありました。
そこからすこし奥へいくと方向を示す標柱があります。
その標柱から南へ舗装のきれたところまでいくとまた矢印のついた標柱があります。
null


null

見上げると急な坂が山腹へと続いています。
運動不足の私には躊躇するような坂道です。
多分二度と訪れることはないでしょう。
意を決して登り始めました。
小枝を拾い杖がわりにして斜面からこけないようにしてゆっくりゆっくりと登ります。
案の定滝のような汗がでてきました。
20分ぐらい歩くと標柱が見えてきました。足の丈夫な人であれば10分くらいでたどり着くと思います。
その近くに自刃跡の記念碑がたてられています。
碑文には長くこの地は不明であったが、民間の方により判明しまた有志の方により自費で記念碑を建立されたことが書かれていました。
また和田越の決戦で太腿に銃創をうけた小倉処平が西郷の後に続こうとここまで担がれながらもきますがついに喉を突いて自刃したことなどが記されています。

null
結果として歴史の流れに逆らったような生き方になってしまった小倉処平の無念を思いながら参拝をすませました。
下へおり登り口にある民家の方と話す機会がありました。
ここを訪れるほとんどの人が途中で引き返してこられるそうです。
建立するときの石材は馬で運びあげたそうです。
また登り口に通じる道は昔の日豊街道だったそうです。


Copyright © 2007.[アーバンキット] All rights reserved.